21世紀における『医の倫理』を考える

新ミレニアムにおける医師の責務

李 啓充(医師・作家)

(2003年4月5日 於;福岡県中小企業振興センターにて)

 はじめに

 昨日から福岡市内において第26回医学会総会が開催されていますが、実は昨年米国在住の私に医学会総会の主催者側からお声がかかりました。そこで以前から懇意にさせていただいている弁護士の池永先生に2003年4月に福岡に行きますがとお話ししたところ、医学会総会に対応して患者の立場から何か企画をしたいと思われていたそうです。そういう訳で「飛んで火に入る夏の虫」という感じで本日のシンポジウムにお呼び頂く事になりました。

 医療プロフェッショナリズム

 2002年2月、アメリカ内科専門医会・アメリカ内科学会・ヨーロッパ内科学会の3つの団体が共同で作成した新たな医師憲章が発表されました。私はこの内容を医学界新聞に紹介しましたが、その題名は「新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム」です。日本の医療を見ていて私がいつも苦々しく思うのは医療者の側にプロ意識が欠如しているということなので、この憲章がプロフェッショナリズムを題名にしている点が、私にとって我が意を得たりというところでした。
 ところで、このプロフェッショナリズムという言葉を日本語にどう訳すかという事で私は悩みました。「プロ精神」というと何となく精神主義的な感じで語弊・語感が良くないのではないかという事で、仕方なくカタカナで「プロフェッショナリズム」としました。プロの意識あるいはプロの気概、プロとは何なんだという事をこの宣言ではいろいろ論じていますが、プロというのは専門の技能を持っている人の事です。例えば医師の場合でしたら患者に対してはどう接するか、患者の訴えをどう受け入れるか、患者が何を望んでいるのかという事を了解・理解し、自分が専門職として関与するという事を含めてプロフェッショナリズムというわけです。ただ科学的・テクニカルな技能がある事だけでプロフェッショナリズムと呼ぶものではありません。
 さて新ミレニアム・新しい時代の医療のプロフェッショナリズムとはどういう事なのかというのがこの宣言の中身です。まず、憲章を作成した団体が医師会など利益を追及する職能者団体ではなく建て前上は利害を離れて真理を追求する学会だったことを強調したいと思います。
 次に憲章がつくられた背景ですが現状に対する強い危機感が学会の医師達にあったという事です。どういう危機感かというと、社会経済的圧力で医師が本来の責務を果たし得ない状況があるのではないかという危機感です。例えばコスト削減の圧力です。アメリカでは保険会社が医療サービスの内容やアクセスにいろいろと制限を加えており、医師が患者のためにある治療をしたいと思ってもそれが許されないという状況が社会に出て来ています。日本の医療においても診療報酬の引き下げや患者さんの自己負担の増加などコスト削減の圧力が高まっていて、医者が医者である事を追求するのが難しい状況となっているわけですが、そういった社会的な圧力に対し医師たちはどういう責務を持つべきかという事をこの宣言は謳い上げています。

 医師の社会的責任

 この宣言内容は「3つの根本原則と10の責務」として詳細に述べられています。憲章のキーワードは「プロフェッショナリズム」と「社会との関わり」です。この憲章の一大特徴は医師の社会的責任・医師集団の社会的責任を強調していることです。社会経済的圧力に対してどう対応するか、医師がそのプロフェッショナリズムをどう追求するかという内容ですから、当然の事ですが社会との関わり、社会に対して医師・医師集団がどう働きかけるかという事を含めた憲章となっています。これまでも医の倫理綱領とか医師の倫理綱領とかいろいろとありましたが社会的な責務という事を謳い上げたのは、おそらくこの憲章が初めてではないかと思います。
 この憲章の序言を簡単にまとめますと「プロフェッショナリズムこそが、医療と社会の契約の基礎である」とプロフェッショナリズムの意義を強調しています。プロフェッショナリズムとは何かというと<患者の権益を最優先する事、医師としての能力と適性の育成・維持、社会に対する専門家としての助言、個々の医師及び医師全体が社会から信頼されなければならない>こういった事がプロフェッショナリズムの中身として序言の中に書かれています。
 外的な社会経済の状況が厳しいからこそ医師はプロフェッショナリズムについて再確認しなければならないというのがこの憲章をつくった理由としています。社会・文化の違いを越えた普遍的原理というものを追求したつもりなので、いろんな国の人もこの憲章を叩き台にして議論を深めてくれれば良いという事を、憲章を作成した当事者が書いています。私自身は日本でも全て実施すべき内容のものと思っています。
 根本原則の第1は患者の利益を追求する事です。「医師は患者の利益を守る事を何よりも優先し市場・社会・管理者からの圧力に屈してはならない」としています。
 第2の原則は英語でAutonomyという言葉を使いますが、患者の自律性を尊重する原則です。医師は患者の自己決定権を尊重し「インフォームド・ディシジョン(Informed-decision)」といって患者がいろいろな情報を理解した上で自分自身の決断が下せるように患者をempowerしなければなりません。empowerという言葉はある人が何かをできるようにその力を与える事で、患者が決断できるように医師はempowerしなければならないという事です。
 第3の原則は社会正義で、医師には医療における不平等や差別を排除するために積極的に活動する社会的責任があるという事です。医師・医師集団の社会的責任という事を強調しているのがこの憲章の特徴となっています。

 「医療倫理の4原則」

 医療倫理学という分野で殆ど全ての人が受け入れている「医療倫理の4原則」がありますが医療倫理とはこの4つの言葉につきるわけです。医療倫理の第1の原則はRespect for Autonomyといって患者の自律性・患者の自己決定権を尊重する事です。第2の原則はヒポクラテスの誓いにもありますように患者に害をなしてはならない。例えば昔は人体実験とか恐ろしい事をしていたのですが、患者に害をなしてはならないという事です。第3原則がBeneficence患者の利益の追求、第4の原則がJusticeで社会の公正・正義という概念から逸脱するような医療をしてはならないという事です。医師が一人の患者さんを診る場合にこの4原則を守るという事が医療倫理に従った医療をするという事です。
 この憲章は医師・医師集団の社会的責任を強調しているわけですが、この医療倫理の4原則を社会にどう行き渡らせるか、あるいは医療の政策をどう創るかという時に、この倫理の4原則が実施し易くなる様な政策を考えるのが本筋であると私は思うのですが、日本の医療制度改革というのは銭勘定に終始しているようです。診療報酬引下げ、患者自己負担の増加とか、誰が幾ら支払うのかと銭勘定ばかりしていてどうして患者の自律性を尊重する医療制度改革ができるのでしょうか。そういう公共政策にはこの医療の4原則というものが全く欠如した状態です。こうした状態の中で病院に株式会社を入れる必要があるとか、日本の医療が悪いのは株式会社が病院を運営していない事が日本の医療の最大の問題だとかの議論がされています。
 後ほど混合診療について話しますが、混合診療を導入していないという事が日本の医療の最大の問題ではありません。日本の医療の最大の問題はこの4原則を実施できない医療制度になっているという事なのです。患者の権利も法制化されていない、患者の自律性を守るという事も医師達に教育されていません。最低限のルールとしての患者の自律性を尊重するという事を医師達が無視する。そういう事が横行していても誰もそれをとがめる事ができない。こういった医療制度そのものが日本医療の一番の問題で、この医療倫理の4原則が医療の4原則でもあると思っていただいて結構だと思います。
 今回の憲章では3つの原則にまとめられていますが、もともと医療倫理学でいうところの4原則、これは殆どの全ての人が受け入れているところのものだと信じています。個々の症例で問題になるのは、患者の自律性・患者の利益と医学的利益とが桔抗する場合、矛盾が生じる場合に倫理的に難しい問題が生じます。例えば「エホバの証人」の信者の場合は、第一の原則を守って患者の自己決定権を尊重すると輸血はできないので患者の医学的利益を追求するという第三の原則との間に対立が生じます。そういう場合、社会としてどちらの原則を優先するのかは医療倫理の難しい問題で、個々のケースではどの原則に重きを置きどうバランスをとるのか判断するのが難しくなります。医療倫理を考える時には4つの原則を頭に入れて、難しい症例に出会った場合は患者側の状況とかいろいろ考えながら4つの原則をどう折合いをつけるかを現場では考えます。

 プロフェッショナルとしての10の責務

 責務1はプロとしての能力についての責務です。個々の医師が生涯学習に励み、医師団体もその全ての医師が例外なくその能力適性を維持するための仕組をつくらなければならない。専門家としては最低限、専門的な技能を持っていないといけないという事です。「チーム医療の技能」もプロフェッショナルとしての技能の中に含まれています。
 責務2は患者に対して正直である責務です。治療の意思決定ができるよう患者をempowerするために情報を正直に伝えなければならない。特に医療過誤については患者に速やかに情報開示する事が重要であるとしています。過誤を報告・分析する体制を整える事が事故防止と被害救済の基礎となる、被害救済と再発防止のために社会的に制度をつくる必要があると、ここまで踏み込んだ事を言っています。また、そういった制度ができるように医師達も運動をしないといけないという意味合いでこういう事を書いているわけです。
 第3番目の責務は患者の秘密を守る責務です。医療情報の電子化や遺伝子診断などの技術が進歩していますので、これから患者のプライバシーを守るという事が非常に重要になっていくという事を強調しています。
 第4の責務は患者との適切な関係を維持する責務です。患者の弱い立場を悪用する事があってはならない、特に性的・財政的に患者を搾取してはならない。患者というのはもともと弱い立場にあるわけです。他人の前で服を脱いだり、恥ずかしいところを触られたり、恋人や配偶者にもさせないような事を医療者にはさせているわけです。どうしてかと言うと、病気を見つけてほしい、病気があったら治してほしい、そう思うから医者の言う事を聞いているわけで、そういった弱い立場の人達に対して自分が少し強い立場にあるからといってアビューズ(虐待)をするような事があってはならないと厳しく戒めています。
 責務5は医療の質を向上させる責務です。「医師及び医師団体は医療の質を恒常的に向上させる義務を負う。医療の質には医療過誤防止・過剰診療抑制・アウトカム(結果)の最適化が含まれる。医師は医療の質を計測する活動に積極的に参加する責務を負う」としています。

 医療の質の計測

 アメリカでは医療の質を高めるために医療の質をデータとして計測し、その計測結果に従って診療報酬の額を変えようという動きが進んでいます。その1例が2003年から実施しているカリフォルニア州の動きで“Pay for Performance Program”といって、やった結果に対して支払いますよと、カリフォルニア州の保険会社と保険団体が連合体を作って診療の質を測っています。
 きちんと小児の予防接種をしているか、乳がんの検診をしているか、子宮がん検診をしているか、喘息の治療をうまくしているか、患者の発作の回数とか、救急外来の受診が減っているか、心筋梗塞の死亡率は減っているか、糖尿病の合併症の発生率は減っているかという事を、個々の医師や診療所について具体的にデータとして計測します。そして優秀な成績を上げている医療機関に対しては診療報酬を手厚く支払い、反対に成績が悪いところはペナルティを加えるものです。総合評価の際に、これらの項目で診療の質を数字で測ることに5割の重みを置いています。
 患者の満足度の評価項目としては、患者がどう思っているか、医師達はちゃんと専門的技量を持っていたか、診療時刻に遅れるような事はなかったか、患者ときちんとコミュニケーションをとったか、そして又総合的にどう評価するかなど、患者側が診療をどう受け取っているかという事について、総合評価の際に4割の重みを置いています。残りの1割は、電子カルテが入るようにI Tへの投資をしているかという項目です。このように5:4:1で点数を割り振り総合点の良い医師・診療施設には手厚く診療報酬を支払い、成績が悪いところには診療報酬を落とすという事を始めています。
 こういった動きは以前からあったのですが、医療の質を測るのは確かに難しいんです。いい加減なデータでペナルティを与えたり、飴と鞭を与えたりするのでは困るという事で、これまでは医療の側が質を計測することに頑固に抵抗してきたわけです。しかし、もう社会の方がこれ以上待つことは容認できないという事で社会からの圧力が強まって医療の質を計測し、それに対して診療報酬に差をつけるという事を始めているのです。医療側・医師の側・医師団体としても抵抗するのでなく、どうしたら適正に医療の質が測れるのか、医療の質を測る事に積極的に協力する体制を整えないといけないという事で逆の態度をとりましょうと、今回の憲章は言っているのです。
 更に医療の質についての2番目の例ですが、アメリカ科学アカデミー医学研究所が医学の質を高めるために政府として何ができるかという事で答申を出しました。1番目は、政府が税金で運営している医療保険がありますので支払側として医療の質を高くするように医師や病院に対して圧力をかけなさい。2番目は国立病院を持っているわけですから供給側の見本として、国立病院では医療の質を高めるためのいろいろな努力をしてアメリカ中の病院の見本になりなさい。3番目は、政府として研究所にお金を出しているわけですから医療の質を高めるための研究にも、ふんだんにお金を使いなさいという事を答申しました。
 具体的には医療の質についてデータを集めてそのデータを公表する、更にデータの結果に従って飴と鞭を使い分けるという事をやりなさいと、2005年までにはこれを2010年までにはこれをと、タイムスケジュールも出して政府に対して答申しました。
 医療の質という事に関してはアメリカでは今ここまで進んでいるという事です。この医療憲章の中には医師・医師団体には医療の質を高める義務があるという事が出てくるわけで、日本と比べて雲泥の差としか言いようがありません。
 責務6は医療へのアクセスを向上させる責務です。医師及び医師団体は医療へのアクセスの平等性を確保する事に努めなければならない、更に患者の教育程度・法体制・財政状態・地理的条件・社会的差別などが医療へのアクセスに影響してはならない、としています。日本の医療で一番いいところは皆保険制でアクセスが保障されているという事ですが、アメリカの場合は国民の7人に1人が無保険者ですから医療へのアクセスを向上させる責務というのが重要なのです。

 コスト削減でなくコスト効率を

 7番目は医療資源の適正配置についての責務です。「医師には限られた医療資源を『コスト・イフェクティブネス・Cost-effectiveness(コスト効率)』に配慮して適正配置する責務がある。過剰診療は患者を無用な危険にさらすだけでなく、限られた医療資源を他の患者から奪う事につながるから止めないといけない」としています。ここでキーワードは「コスト・イフェクティブネス」ですが、コストを減らす様努力しろ、金を使わないよう努力しろと言っているわけではありません。コスト効率を良くしなさい、同じお金を使うのでも、生きたお金を使うように頑張りなさいと言っているわけです。ところが日本の医療政策はコストを減らせとしか言っていませんのでその発想の違いが非常に大きいわけです。世界各国の医療政策を見まして「コストを減らせ」ばかりを恥知らずに言っているのは日本だけです。他の国はどうやってコスト効率を上げるかと考えているのに、日本の政策立案者だけはコストを下げろと臆面もなく言っています。
 それでは、コストとコスト効率がどう違うのか事例を上げて説明したいと思います。第1表はカナダのオンタリオ州でのデータですが、肺ガンで既に転移が進んでいる患者さんに対して、どういった治療をするのがいいのかについてのデータを取っています。オンタリオ州では全部のガン患者が登録されて社会的にデータベースとして蓄積されています。臨床治験のデータもプールされて社会全体として集計される体制が整えられています。
 この研究は肺ガンがあって転移もあり助からないという患者さんに対して、どういった抗がん剤を使ったら費用がどれだけかかり、患者がどれだけ生き延びたかという事を調べたものです。コスト抑制を一番重視する立場からは、コストが一番低い治療が一番いいわけですから、コスト抑制の立場から選択される抗がん剤の組合わせは第1表の(VLB+P、ビンブラスチンとシスプラチン)という組合せになるわけです。
 コスト効率という場合はお金を使ったあと医療の結果がどうなったかという事を考えます。例えば、どれだけの延命効果があったのかという事を見ます。更にこれでその延命効果に対してコストがどれだけかかったかとの数字が出て来ます。この研究の場合は、たまたま金額が一番低かった治療が延命という効率に関して一番良いという結果が出ています。更に患者さんに尋ねてクオリティー・オブ・ライフを測ります。「1」というのは健康と全く変わらない状況、「0」というのは死んだ方がましという最悪の状況です。自分の生活の質がどれ位になったかと患者さんに0から1の間で答えてもらい、こうやって質というものが数字で出てきます。そして生活の質が「1」で1年間生き伸びる、そういった状況をつくるのにどれだけお金がかかったかを算出します。
 たまたまこの研究では一番コストの低かった方法がコスト効率も良かったという結果になっています。コストが高くついたというのは抗がん剤の値段ではありません。この抗がん剤を使った場合に診療全体にコストがこれだけかかったという意味で、生き延びれば当然その患者さんにかかる費用が増え、結果的にはコストは高くつく傾向にあるわけです。ガンの患者さんが長く生きましたら補助的なサポートがいろいろ必要ですから、そういった傾向が当然出てきます。
 そこでもう一つの発想が加わります。余命いくばくもなく死ぬ事がわかっている患者さんに対して、クオリティが「1」で健康と全く変わらない状態で1年間生きることを社会として支援しようではないか、クオリティが1で延命効果が1年、そういった効果がある治療に対して社会として幾等までお金を出すかという事を考えるわけです。一銭も余計な金をかけたくないという基準で、このコスト効率を考えると一番安上がりのものとは第2表の1番になるわけです。
 長く生きたら当然お金がかかります。社会としてそういった状況に5万ドルまでお金を出そうではないか、亡くなる事は分かっているがその人の余命を1年分買って差し上げよう、そのためには5万ドルまでお金を出そうという立場でコスト効率を考えますと、第2表の通り治療の順位が大きく変わるわけです。コスト効率の考え方と更に社会として患者さんにどこまでお金をかけて差し上げるかという事で、コストを基準にするかコスト効率を基準にするかでその選択が変わります。
 医療の質を重視する立場からは単なるコスト抑制を目指すより、コスト効率の改善を目指す方が理にかなっています。更に社会として病気の方に対して、どれだけのコストを許容するかという基準を変える事で最適の治療方法の選択が変わるのです。政策というのは、ここまできめ細かくやらないといけないのです。この医師憲章の中では医師・医師団体はコスト効率の改善を目指さなければならないと言っています。日本の場合は医療費を削らないといけないという政策ばかり唱えていてコスト効率の改善ということには目が向いていませんが、医師の立場から、コスト削減ではなくてコスト効率の改善の方が重要だという事を力説したいのです。

 悔しい個人的体験

 医療資源の適正配置については今日本でも問題になっていますが、混合診療の問題は医療資源の適正配置という事に関連しますので特に言及したいと思います。実は私の個人的な体験ですが昨年の11月に弟がクモ膜下出血で倒れました。この病気は手術後に起こる血管攣縮が非常に怖い合併症で、後遺症が残ったりそれによって亡くなったりする事が高い確率で起ります。10人中3人の患者が血管攣縮で死亡したり、後遺症が残ります。
 ところがニモジピンという薬を使いますと10人中3人だったものが2人に減るのです。家族としては当然ニモジピンの使用を希望するわけですが、この薬は日本では医薬品として認可されていないため、アメリカから取り寄せて使おうとしますと、保険診療と自由診療の組合せは混合診療の禁止という事で認められていませんので、ニモジピンという薬を使うとなると全部自費で払わないといけないのです。手術料や何から何まで全部自費で払わないといけないため現実問題としてはこの薬は使えません。非常に悲しい事に弟はその10人中の3人の中に入ってしまい非常に重い障害が残り社会復帰ができない状況です。
 しかし、私の結論は混合診療を認めろということではありません。なぜ保険診療にその薬が入ってないのかという事が私の一番の怒りなのです。いきさつを調べてみますと、ニモジピンの販売権を持つ製薬会社が本来の効能とかけ離れた脳代謝改善薬という広い効能をとろうとして申請を出しました。ところが申請した時期はアバンとかホパテとかの脳代謝改善薬には全然効果がないのではと見直しがされており、これまでの認可薬も認可が取り消されるというタイミングの悪さのためにニモジピンは結局許可されなかったのです。アメリカでは1989年に認可されているのに日本では15年近く経っても未だに認可されていない。舌きり雀の婆さんみたいに製薬会社が大きな櫃が欲しいと欲深い申請をしたため、この薬が認可されなかったという状況を知り私は益々腹立ちを深めました。
 ところで混合診療というのはお金のある人だけが特定の治療を買う事を許そうという事ですから、これは医療資源の適正配置・公正という原則から考えると不平等という事になりますので、絶対に容認することはできません。更に混合診療・自由診療の名のもとで効果や安全性が確立されていない似非医療が横行する危険もありますので、患者に害をなしてはならないという医療倫理の原則にももとります。更に金持ちが好き勝手に医療保険の本体を使った上でその上積みだけを自分で支払うわけですから、こういった事が横行しますと金持ちのわがままのために医療保険本体の財政がアビューズされ、本当に必要な医療にお金が回らなくなる可能性が出てきますので公正という事を考えますと容認する事ができません。今日本では規制改革がいろいろと議論されていますが私としては混合診療は容認すべきではないと考えています。混合診療の容認は必要ないし、また混合診療を容認していない事が日本の医療の最大の問題ではありません。

 無視されている『利害の抵触』

 責務の8番目は科学的知識についての責務で、医師には科学的知識を適切に使用するとともに科学としての医学を進歩させる義務がある。責務の9番目は、「利害の抵触」に適正に対処し信頼を維持する責務です。保険会社・製薬企業・医療機器企業などの営利企業との関係が本来の職業的責務に影響する恐れがある事を認識するだけでなく、「利害の抵触」に関する情報を開示し、適切な対処をしないといけないという事です。
 ところが日本では「利害の抵触(Conflict of Interest)」という事が全く軽んじられています。製薬会社からお金を貰っている教授が研究するのだから製薬会社の気に入るような結果を出したい、そういった事が例えば薬害エイズ等の被害の根底にあるわけです。利害の抵触という事についてはそのルールを厳しく実施しないといけないのですが、日本の場合はそのルールが非常に甘いので私は怖いと思っています。
 利害の抵触という定義は、ある職務に就いている人がその立場や権限を利用する事でその人自身が利得を得る事が可能となる状態をいいます。例えば泥棒が裁判官になって自分を裁く、こういったものが利害の抵触です。
 臨床研究における利害の抵触の例を上げます。遺伝子治療というのが最先端の治療という事で今社会の脚光を浴びていますが、まだ安全性も効果も確立されていません。アメリカでは1万人近い人が遺伝子治療の治験に患者として参加していますが、科学的に効果と安全性が証明されたものではありません。アメリカで一番問題になっているのは遺伝子治療の研究をしている人達が自分で出資して企業をつくり、その自分達の企業の特許に絡んだ治療を研究している事です。そういった形で利害の抵触を全く無視した形で臨床研究を行い、患者さんが亡くなったりしている事が問題になっており、これを止めさせないといけないという事がアメリカで討議されています。
 日本においてもある大学の教官が自分でベンチャービジネス会社をつくって遺伝子治療の臨床実験を自分でやっており、日本のマスコミはそれを美談として報道しています。私はその記事を読む度に何でこんな怖い事を許しているんだろうと思います。自分が研究した成果で特許を取ってその事でお金を得たいという事は結構です。しかし、自分の会社の利益になるような結果に結びつくような臨床治験で患者さんに関わってはいけないのです。会社をつくって特許を取るのは結構ですけれど臨床治験は利害関係を持たない他の人に任せるべきです。「李下に冠を正さず瓜田に履をはかず」と先人が言ったように利害の抵触に関わってはいけません。自分がお金を儲けられるか儲けられないかの瀬戸際に立っているような人が、臨床治験のような患者さんの命を預かる立場に立ってはいけないのです。
 日本において公共政策を決める立場の人も利害の抵触というのを全く考えていませんしマスコミも全く利害の抵触という観点がありません。例えば病院経営に株式会社の参入を認めろ、あるいは混合診療を解禁しろと、政策を決める責任を持たされている方が医療センターの建設に関わる企業のオーナーであったりと、自分の会社が儲かる形を政府に対して認めろと言っているわけで、これは利害の抵触以外の何ものでもありません。ところが日本ではそういった事を問題にする人がいないだけでなく、株式会社参入を認めろという社説を書く新聞社が沢山あります。医療に企業が進出していく事について直接に利害関係のある人が政策を決める立場に就き、更に調査権や勧告権など公権力まで行使する権限を与えられて自分達が潤うようにしており、日本の社会の中でもっと厳しく利害の抵触という観点から物事を見る必要があると思います。
 責務の10番目は専門職に伴う責任を果たす義務という事で、ふとどきな医師やルールを守らないような医師については懲罰を加えて医師全体に対する社会の信頼を守る責務があるといっています。

 おわりに

 日本の医師にはプロ意識が欠如していると申しましたけれど欠如というよりもプロフェッショナリズムに対する勘違いが実態かと思います。どう勘違いしているかというと「素人は口を出すな」「診てやっている」「医者は偉い」、こういった事がプロフェッショナリズムだと思って患者を診療している医師がいるという事が日本医療の一番の問題です。
 患者の自律権を尊重する・患者の利益を追求する・社会正義を実現する、こういう事が医療者のプロフェッショナリズムですよというのをこの憲章は明言しています。日本の医療のプロフェッショナリズムに対する勘違いを変えるためには、医療のルールを明確にして患者の権利も法律で明確に保障しないといけません。この医療のルールをきちんと実現できる医療制度改革を目指すのがこれから日本のとるべき本当の道だと私は信じています。

 事務局より
この記事は2003年4月5日福岡県中小企業振興センターで開催されたシンポジウム「21世紀における『医の倫理』を考える」における李啓充さんの講演を編集したものです。

以上は福岡患者オンブズマンのホームページから